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●3/9 日食当日 ■緊張漂う朝 ■画像送信開始 ■第一接触 ■第二接触〜第三接触 太陽が月に隠れてどんどん細くなってゆき,第二接触が目前に迫ると,急激に辺りが変化し始めました。まるでサングラス越しに風景を見ているように辺りが暗くなり,濃いブルーに変化してゆく空に徐々に明るい星から顔をのぞかせました。「大本影だ」という声に太陽から目を離して地平線方向を見ると,連なる山なみの上の空が夕焼けのように赤くなったかと思うと,奥にある山から順に黒くなり,視界から消えてゆきました。「黒い大きな物が迫ってくる!」本能的にそう感じた私は背筋が凍りつき,この場から逃げ出したい衝動に駆られました。一呼吸おいて,これは単なる月の影なんだと自分に言い聞かせ,空を見上げた瞬間,コロナをまとった真っ黒な太陽がそこにあったのです。
■第三接触後 第三接触が終わると,一般の見物客は特設テントに温かい飲み物をもらいに行ってしまいました。観察していたグループにも,山場が無事終わったためか映画を見た後のような安堵感が漂っていました。日本への映像送信は第三接触後10分ぐらいで打ち切り,日本側スタッフに連絡を入れました。連絡によると画像はきれいに受信できていたが,皆既の途中で受信が止まっているということでした。インマル送信機の表示は通常通りだったので,皆既前に接続が切れたのとは状況が異なっており原因は不明でした。とりあえず皆既2分40秒中2分間は画像が送信できていたことを確認し,条件付きながらプロジェクトの成功に対してウオッカで祝杯をあげました。
現地の人たちは皆既が終了するとどんどん帰りはじめ,見物客はあっと言う間に少なくなりました。私たちは第四接触まで観測を続けた後,ホテルへの帰路につきました。
■ひたすら眠ったシベリア鉄道 【シルカ→チタ】

【警備につく兵士】
デジカメにポーズをとってくれました
朝まだ暗いうちに起床し朝食をとるためにロビーを通ると,むき身のマシンガンを肩から下げた兵士が10人ほど集まっていました。世界各国から観測グループが来るということで軍と警察が警備に動員されていたのです。朝食もそこそこに5:30ホテルを出発,パトカーの先導で観測地に向かいました。パトカーがゆっくり走ったため昨日よりも移動に時間がかかり,現地に到着したのは7:00。天候は快晴,気温-25度,いよいよ本番です。白んできた空の下,早速機材のセッティングに取り掛かりました。

【中継バス】
中は暖房きかせても零下...
昨日は機材のたち上げまで1時間以上かかっていましたが,練習の成果もあって7:40には日本への画像送信を開始できました。もちろん機材のセッティングが完了した時点で電波管理局員のチェックが入ります。今日の彼らは各機材についての説明を黙って聞いているだけで,「観測に邪魔になるようなら我々の車を移動する」などと,結構気を使ってくれました。8:00に日本側スタッフと連絡を取り,画像の受信を確認。後は皆既日食終了までトラブルがないことを祈るだけです。

【見学者】
一応英語で説明するんですけど
通じてないみたい(^^;
他の観測者と異なり,インマルとパソコンを使って作業している我々はひときわ目立っており,現地の人が見学にバスの中まで入ってきました。機材の説明をしていると,大きなビデオカメラを持ったおじさんがシベリア抑留日本人のお墓参りに行かないかと話しかけてきました。残念ながら観測にかかりきりで時間がとれなかったのでお墓参りはあきらめました。

【インマルサット送信機】
大活躍,でも重いんだよね
第一接触の時間になり,フィルターを使って太陽を眺めると右上の部分が丸くかけてゆくのが分かりました。第一接触後しばらくしてからメンバーの一人がインマル送信機の表示がおかしいことに気づきました。パソコンから接続確認をしてみると通信が切れているではありませんか! 早速送信機を立ち上げなおし通信を再開しましたが,接続が切れたまま日食が終了していたかもしれないと考えるとぞっとします。アンテナの前を人が遮って衛星との接続が切れたのではないかと考え,アンテナの周りに人が入らないようにしました。またこれ以降インマル送信機の表示は頻繁に確認するようにしました。

【皆既中の太陽】

【皆既中の辺りの様子】
「うぉー」という歓声で我に返り,夢中でデジタルカメラのシャッターを押しました。コロナは思っていたよりも薄く,真っ赤なプロミネンスが1つ見えました。ファインダーから目を離し肉眼で空を見ると,太陽のすぐそばに明るく輝く水星と金星が見えました。ヘールボップ彗星が天頂に見えると誰かが言ったので探しましたが,確認できませんでした。皆既も終わりに近づいたため写真撮影を終了し,残りの時間を肉眼で観察しました。どのように日食が終わったのか,ハッキリと覚えていないのですが,気がついたら回りが明るくなって,気温が異常に低下していました。

【全員で荷物を移動】
ホテルで午後いっぱい休養した後,日本への帰りの旅が始まりました。「列車は3番ホームに到着します。荷物の移動をお願いします。」って言われても日本の駅みたいに移動用の通路があるわけでもなく,左右を確認しながら線路の上を横切って荷物を移動しました。列車に乗り込み,出発したのが午前2時。観測と荷物の運搬に疲れた我々は銀河鉄道を楽しむ余裕もなく,横になるなり泥のように眠りました。
●3/10 帰国 ■さらばシベリア 【チタ→ハバロフスク→新潟】 さらばシベリア,いくぜベネズエラ! (おわり)

【ツボレフ154】
朝5:00,チタに到着した私たちはバスでチタ空港に移動,そこから空路ハバロフスクに向かいました。機内で朝食を取り,あっという間にハバロフスクへ。ハバロフスク空港は日食帰りの日本人でごったがえしていました。空港の雰囲気もチタやイルクーツクと異なり整然としていて,蛍光灯の青白い光がすでにここが日本であるかのような雰囲気をかもしだしていました。ルーブルを残してももったいないので,おみやげに買えるだけのお菓子を買い込み(後にこのお菓子が
Made in UK
であることが判明,全然ロシアみやげになってないとのつっこみをうける),出国審査の列に並びました。

【シベリアの大地】
ツボレフ154が力強く離陸し,最後のシベリアの大地を眺めながら,すでに次の日食のことを考えている自分に気づきました。どうやら他の人の日食中毒がうつってしまったようです。
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